仙台高等裁判所 昭和46年(く)22号 決定 1973年9月18日
右の者に対する強盗殺人、非現住建造物放火被告事件の確定判決に対する再審請求事件について、昭和四六年一〇月二六日仙台地方裁判所古川支部がなした決定に対し、右請求人の弁護人らから即時抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
原決定を取り消す。
本件を仙台地方裁判所に差し戻す。
理由
本件即時抗告の趣意は、弁護人守屋和郎外一一名連名作成名義の「即時抗告の申立」と題する書面および即時抗告申立理由補充書各記載のとおりであるから、いずれもこれをここに引用する。
よつて先ず訴訟手続の法令違反の所論にかんがみ記録を検討すると、本件再審請求は昭和四五年六月七日申し立てられ、原裁判所は同四五年一〇月九日附で仙台地方検察庁古川支部検察官に対し本件再審請求事件について刑事訴訟規則二八六条に基づく意見を求めるとともに(右意見書は同四六年三月三〇日提出された)、弁護人に対しても同じく意見書の提出(提出期限は同年三月三一日)を求めた上で、同年五月二五日には証人として平塚静夫を尋問すること(尋問期日は結局同年六月二五日と指定された)を、同年六月二四日には鑑定証人宮内義之介、木村康および石原俊を尋問することを決定し、宮内、木村両証人の尋問期日を同年七月九日、石原証人の尋問期日を同年同月一〇日と定め、平塚、宮内、木村各証人についてはそれぞれその尋問期日にその取調を了えたのであるが、石原証人については、同人から同年六月二五日、先に提出した鑑定書は第一部であり、なお第二部として行なつている実験があり、その鑑定書は八月中に作成して弁護人に提出することになつているから、証人尋問はそれ以後になされたい旨記載した棄書が到着したので、原裁判所は同年六月二六日附で証人尋問期日取消決定として、本件再審請求事件につき昭和四六年六月二四日になした決定のうち、昭和四六年七月一〇日午前一〇時東京地方裁判所において、事実取調のため鑑定証人として石原俊を尋問する旨の決定部分はこれを取り消す旨の書面を作成し、これを検察官および副主任弁護人青木正芳宛に送達したまま、同年九月四日弁護人から石原俊証人尋問期日指定の申立があつたのに対し何らの決定も回答もなさず、同年一〇月二六日原決定をなしたものであることが認められる。
以上の経過に基づき原裁判所の本件手続における法令違反の有無について考えると、そもそも刑事訴訟規則二八六条が、再審の請求について決定をする場合には、請求をした者及びその相手方の意見を聞かなければならないと定めた趣旨は、請求の理由の内容を検討するについて、再審請求人や相手方の意見を聴取しなければ、その理由の有無が判断できない場合に備えるだけでなく、再審制度が個々の裁判の事実認定の誤を是正し、有罪の言渡を受けた者を救済することを目的とするところから、再審請求人の意見を十分に酌んだ上で再審請求の理由の有無を判断することが望ましいとしてもうけられたものと解すべく、右の趣旨にかんがみると、手続の進展にともない意見を表明しうるよう機会を与えなければならないところ、原手続においては、刑事訴訟法四四五条による事実の取調として、証人一名、鑑定証人二名の取調をしたほか鑑定証人石原俊の尋問を行なうことを決定しながら、その尋問期日を取り消したのみで、証人尋問そのものについては取り消したものと解し難い前記尋問期日取消決定をなし、弁護人からの石原証人尋問期日指定の申立にも何ら応答することなく、請求人に対しては事実取調は未了であるから事実取調終了後に改めて意見を述べる機会があるとの期待をいだかせた状態のまま、再審請求棄却決定を行なつたことにより、請求人に対し意見を述べる機会を与えない結果を招来せしめたもので、結局原裁判所の前記一連の手続は刑事訴訟規則二八六条に定める請求人の意見陳述の機会を奪つたものといわざるを得ず、原裁判所の右訴訟手続違反は再審制度の存在理由ないし目的に反する手続違反であり、原裁判所はその審理を尽さず決定をなしたものというべきであるから、その手続違背は決定に影響を及ぼすことが明らかであり、取消を免れない。
よつて本件抗告は、その他の点について判断するまでもなく理由があるので刑事訴訟法四二六条二項に則り、原決定を取り消し、本件を仙台地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。
(恒次重義 清水次郎 渡辺公雄)
<参考一>昭和四四年(た)第一号再審請求事件
右請求人に対する強盗殺人・非現住建造物放火被告事件の確定判決に対し、同人より再審の請求があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
理由
第一、確定判決の存在および本件第二次再審請求に至る経過
(一) 請求人は、昭和三三年一〇月二九日、仙台地方裁判所古川支部において、強盗殺人・非現住建造物放火被告事件により死刑の有罪判決を受け、これに対して順次控訴、上告をしたが、昭和三四年五月二六日、仙台高等裁判所において控訴棄却の、昭和三五年一一月一日、最高裁判所において上告棄却の各判決がなされて右第一審判決が確定したこと、右確定判決によつて認定された事実は「被告人は、昭和二〇年三月本籍地の国民学校高等科を卒業、翌四月宮城県遠田郡南郷村立南郷農学校に入学したが、まもなく終戦となり、学業に興味を失ない同年八月ごろ退学して、同県志田郡鹿島台町所在の関口製材所、渡辺製材所などに製材工として働き、昭和二六年秋ごろ父斎藤虎治が同町内で移動製材業を開業したので、右渡辺製材所をやめ、その後引き続き父の移動製材業を手伝い、その間約半年ぐらいずつ岩手県釜石市で『とび』仕事をしたり、東京都足立区でトラックの運転助手をしたりしたほかは家業の製材業の手伝いに従事していたのであるが、一七、八歳ごろから酒を飲みならい、しだいに飲食店などでの飲酒の度を加え、両親から受ける数千円の小遣銭では遊興の資を充たすのに足りず、着用していつたオーバーコート、雨合羽などや乗つていつた父虎治所有の自転車まで飲食代の『かた』に置いてきたり、二、三年のうちに約二〇回にもわたつて父虎治所有の米を持ち出して飲み代に替えたりしたが、昭和三〇年一〇月ごろまでに同町内の飲食店、旅館、酒店、食料品店、知人などに六、七千円の借財がかさみ、とかく小遣銭に窮していたところ、そのころ、同町平渡字新屋敷下料理店『二葉』こと菅野重蔵方の女中渡辺智子に愛着を覚え、同女と結婚したいとの望みを抱いたが、同女の雇主菅野からは同女に前借金のあることを聞かされ、母ひでには同女と結婚したい旨を打ち明けたうえ、同女が母の気にいつたならば同女との結婚を許してもらいたい旨懇請し、母に前記菅野方を訪ねてもらつたけれども、母の賛成するところとならなかつたので、周囲の反対を押し切り家出しても智子といつしよになろうとまで思い、焦操の念に駆られており、かれこれ金銭の入手に苦慮していたおりから、
第一、昭和三〇年一〇月一七日午後四時ごろ同町内で友人加藤浩と出会い、同人から、さきに被告人らと料理店『二葉』で飲酒した際の飲食代として同人が預り保管していた柔道大会の前売券代金二千円を費いこんで、他から一時借り受けその穴埋めをしておいた金の返済が延引しているため、ふたりの所有物を出し合い入質して金策したいと誘われ、被告人はスプリングコートを持ち出し、右加藤と午後七時二分東北本線鹿鹿島台駅発下り列車で遠田郡小牛田町に赴き、同町小川質店に両人の衣類数点を入質したあと、加藤が同質店から受け取つた二千五百円のうちから、小牛田駅前の屋台店で清酒、焼ちゆう取りまぜコップで三、四杯を飲んだうえ、同町に泊つてゆくという加藤と同駅前広場で別れ、被告人は午後九時四九分発上り列車で、午後一〇時過ぎごろ鹿島台駅に下車し帰途についたが、その途中、前日(一〇月一六日)の午前九時ごろ志田郡松山町氷室字新田一四〇番地小原忠兵衛の妻よし子が被告人方庭先で材木を買い取つていつたことを想い起こし、同人方で普請をするのなら二、三万円の金はあるに相違ないから同人方の寝静まるのを待つて同家に押し入り金員を盗み出そうと考え、自宅には帰らず、自宅附近の株式会社東日本赤瓦製造工場東北工場内で休息しながら時間をつぶし、翌一八日午前三時半ごろ前記小原忠兵衛方に赴き、電灯の点じられていた同家内部の様子をうかがつたが、忠兵衛とは顔見知りなので、いつそ一家をおう殺したうえ金員を盗み取ろうと決意し、同家浴場の壁に立てかけてあつた刃わたり約八センチメートルの薪割り一丁(押収目録番号二はその刃の部分)を携え同家八畳の寝室に至り、まくらを列べて熟睡中の主人忠兵衛(当時五三年)、ついで妻よし子(当時四二年)、長男優一(当時六年)、四女淑子(当時九年)の各頭部を順次右薪割りで数回切りつけ、忠兵衛を頭部右側の割創による脳障碍により、よし子を第四脳室の出血と脳震盪により、優一を脳障碍(あるいは失血)により、淑子を頭部後側の割創による脳障碍により、いずれもそのころその場で死亡させて殺害したうえ、右寝室内にあつたタンスを開いて金員を物色したけれども、現金が見つからないため、金員強取の目的を遂げなかつたが、
第二、その直後、右現場をそののままに放置しておくときは証拠が残るから右犯跡を隠ぺいするため同家屋に放火してこれを焼き払つてしまおうと決意し、同家木小屋から枯杉葉一束を持ち出してきて忠兵衛ら夫婦の死体の頭部あたりに置き、さらに同家入口附近にあつた木くず容りの木箱を持つてきて木くずを右杉葉のあたりにまき散らしたうえ、所携のマッチで枯杉葉に点火して発火させ、よつて同一八日午前四時ごろ、人の現在しない右小原忠兵衛の所有していた約一〇坪五合の木造わらぶき平屋建家屋一むねを全焼させ
たものである。」というものであること、以上の点は請求人に関する確定事件記録および本件再審請求書によつて明らかである。
(二) 請求人は、昭和三六年三月三〇日、仙台地方裁判所古川支部に再審請求(以下第一次再審請求という)をしたが、その再審事由の要旨は、(1)刑事訴訟法四三五条二号、同四三七条によるものとして、高橋勘市の第一審証言は偽証である。(2)同法四三五条六号によるものとして、(イ)鑑定人船尾忠孝作成の鑑定書、同人の鑑定供述、鑑定人北条春光作成の鑑定書および実験報告書、守屋和郎外三名の実験報告書によると、有罪判決の証拠となつた掛布団のえり当に付着している血痕は、請求人の頭髪に付着していた被害者の血液が頭髪からえり当に、または頭髪から請求人の手に付着してそれがさらにえり当に付着したものでないことが明らかであり、従つて、えり当に付着している血痕は捜査機関がねつ造した虚偽の証拠である。(ロ)船尾忠孝作成の血痕検査成績と題する文書、同人作成の松山事件報告書と題する文書、同人の鑑定供述、村山次男・平塚静夫の各鑑定供述によると、請求人が本件犯行当時着用していたとされているジャンバーとズボンには当初から血液が付着していなかつたことが証明されるので、請求人の自供の中にある、犯行後まもなくズボンに手を触れてみたらぬるぬると血液がついていたという趣旨の供述と抵触し、結局右供述部分は虚偽であつたことになり、延いては請求人の自白は全部虚偽のものであつたことに帰着する。(ハ)本件犯行に供されたと称するまき割には被害者の毛髪による条痕があるとされているが、今井勇之進作成の鑑定書によると、まき割には火災のため四〇〇度以上五〇〇度以下の熱が加えられたことが明らかであるから、このような条痕が残るはずはなく、また、同人の鑑定結果によると、五〇〇度以内の加熱では血痕反応が表われるのに、右まき割の血痕反応は陰性であつたというのであるから、まき割を兇器として使用したという請求人の自白は虚偽である。(ニ)被害者方近隣の者の供述によると、本件犯行前に被害者方の電灯は消えていたことが証明される。従つて、右電灯がついていたことを前提として犯行当時の状況を詳述した請求人の自白は虚偽である。(ホ)門間隆夫作成の口述書、TBC録音放送テープによると、請求人が犯行を自供するに至つた経緯に関する高橋勘市の証言は偽証であることが立証されるので、この点からも請求人の自白は虚偽である、というものである。しかし、右第一次再審請求に対しては、昭和三九年四月三〇日、再審請求棄却決定があり、同決定に対する上訴につき、昭和四一年五月一三日、即時抗告棄却決定が、次いで昭和四一年五月二七日、特別抗告棄却決定があり、前記再審請求棄却決定は確定した。以上の事実は前記確定事件記録によつて明らかである。
第二、本件再審請求の理由・証拠
本件再審請求の理由は、弁護人守屋和郎、島田正雄、倉田哲治、青木正芳、樋口幸子、斎藤忠昭、小野寺照東、栃倉光共同名義の昭和四四年六月七日付再審請求書、および弁護人守屋和郎、島田正雄、青木正芳、井上誠、西口徹、高橋治共同名義の昭和四五年一二月二五日付再審請求理由補充申立各記載のとおりであるから、いずれもここにこれを引用する。
弁護人らは、証拠として、木村康作成の昭和四四年五月一日付鑑定書、宮内義之介作成の昭和四四年三月一〇日付鑑定書(中島敏作成の「血痕の血液型検査に関する研究」と題する書面添付)、および石原俊作成の昭和四五年一二月七日付および昭和四六年九月二五日付各鑑定書を提出し、昭和四五年一二月二五日付および昭和四六年九月二八日付各事実調等請求書に基づいて事実調を請求し、検察官手持証拠の開示命令を求めた。当裁判所は、右の提出にかかる鑑定書四通(鑑定参考資料としての、中島敏著「血痕の血液型検査に関する研究」を含む。)を取り調べたほか、証人として平塚静夫、宮内義之介、木村康を尋問し、仙台地方検察庁古川支部検察官に対して、弁護人らのなした昭和四六年九月二八日付検察官手持証拠の開示命令を求める請求記載証拠の有無等について照会し、前記確定事件記録を取り寄せた。
第三、当裁判所の判断
一、ジャンバーとズボンの血痕反応について
(一) 請求人の主張の要旨は次のとおりである。すなわち、請求人の自白調書によると、請求人は犯行時返り血を受け、帰途ズボンにさわつたらぬらぬらしていた、というのであるから、ズボンとジャンバーには相当量の血液が付着していたと考えられるが、他面、同調書によると、犯行の帰途ズボンに土をまぶして水洗し、その後ジャンパーとズボンをそれぞれ一回洗濯した、ということになつている。ところで、血痕検査の方法として新しく発見されたフィブリン平板法ではどんな微小な血痕でも日時の経過に関係なく検出することができるから、鑑定人宮内義之介、木村康らに依頼して、同人らが右の方法によつて本件のジャンバーおよびズボンの血痕反応を調べるとともに新たに本件のズボンおよびジャンバーと同質の布地に血液をしみこませ、右の自白調書にあるような水洗と洗濯をした後、同一検査方法で血痕反応を実験した結果、同人ら作成の各鑑定書記載のとおり、前者については陰性を、後者については陽性を呈した。このことはジャンバーとズボンに一旦付着した血液が、洗濯や日時の経過で消失したのではなく、当初から血液が付着していなかつたことを意味するものである。してみれば、右の各着衣に血液が付着していたという請求人の自白が虚偽であることに帰着する。よつて、新たな証拠である右各鑑定書および鑑定人の証人尋問と、捜査初期においてジャンバー、ズボンの血痕有無を鑑定した平塚静夫の取調べを求める、というものである。
(二) 按ずるに、当裁判所における証人平塚静夫の証言によると、同人が宮城県警察本部鑑識課に勤務していた昭和三〇年一二月に、本件ジャンバーとズボンにつき血痕反応を調べるため、肉眼でみて血痕と思われたしみのある部分についてベンチジン法による検査をし、さらにズボンの全面にわたつてルミノール反応検査をしたところ、ズボンの一個所から僅か豆粒大の血痕反応より得られなかつたため、同証人はこれら衣類には当初から人血が付着していなかつたと判断したことが認められる。ところで、請求人は、前記のとおり第一次再審請求においても、ジャンバーとズボンには当初から血液が付着していない事実を主張したが、平塚鑑定人の検査方法は精密なものであつたとは認められないこと(仙台高裁昭和四一年五月一三日決定三三頁)および血液の付着の仕方、血液が付着してから同人の検査に付されるまでの間の洗濯の仕方、洗濯までに乾燥したかどうかという条件如何によつて血痕検査成績が陰性になる可能性もあること(仙台地裁古川支部決定二四枚目表)、を理由として前記主張は否定されたこと本件確定事件記録上明白であり、当裁判所における平塚証人の証言をもつてしても、第一次再審請求において示された前記判断を変更すべきものとは考えられない。
(三) 次に、鑑定人宮内義之介作成の鑑定書には本件のジャンバーとズボンには当初から人血は付着していなかつたと記載されているが、右鑑定書および証人宮内義之介、木村康の各証言によると、その鑑定方法は、本件ジャンバーの布地に類似するコール天地とズボンの布地に類似する綿ギャバジン地にそれぞれ二〇CCの人血を付着させ、三〇分経過後のものから二四時間経過後のものまで六種類に分けてそれぞれ砂をかけてもみ洗いをし、さらにこれらを常温の室内に保存したうえ、前者については九日目に、後者については二九日目に固形の洗濯石鹸で洗濯し、次いでそれら布地の表面をもんだりたたくなどした後乾燥させたうえ、フィブリン平板法によつて血痕反応を調べたらいずれも陽性を呈したが、他方、本件のジャンバーとズボンを右フィブリン平板法で血痕反応を調べた結果が陰性であつたことと、フィブリン平板法によれば、極めて微量の資料によつても血液の種類が証明され、水洗のみでは七回洗濯しても陽性反応を示し、洗剤添加の洗濯では三回目にやつと陰性になる旨の中島敏著作にかかる血痕の血液型検査に関する研究報告書とを総合考察して前記のとおり鑑定したことが認められる。
(四) そこで、宮内鑑定の重要な根拠となつた右研究報告書を検討すると、同報告書においても、温湯による処理を受けた血痕は早期に陰性化することが認められるばかりか、証人木村康の証言および小林宏志、富田功一作成の「血痕検査に及ぼす各種洗剤の影響について」と題する研究報告書第一報(科学警察研究所報告一九巻一号所収)および同報告書第二報(同上一九巻二号所収)によると、洗濯に使用する洗剤の種類や、血痕付着物を常温の室内に保存したか、空気、日光等に晒したまま放置したかどうかによつてもフィブリン平板法による検査に影響を生じ、検査の結果陰性になることもあり得ることが認められる。しかるに、宮内鑑定では前記のとおり、ジャンバーとズボンについて加えられたと同じ条件による洗濯方法としての水洗、血痕付着後洗濯までの日数および洗濯回数を同質の布地を使用して実験しただけであつて、第一回目の洗濯時に泥をまぶして洗濯したというのに砂を用いた点をはじめ、第二回目の洗濯時にどのような洗剤を使用したのか、温湯で洗濯しなかつたかどうか、熱湯を加えなかつたかどうか、アイロンによる加熱があつたかどうか、さらには外気、日光に晒すなどの保存方法等、血液検査の結果に重要な影響を及ぼす諸点について、両者が同一条件であつたとは言い難く、また、宮内鑑定に付されるまでの間に、請求人の自供調書により認められる以外の条件が加えられなかつたという証明に至つては全く存在しないことが認められる。のみならず、宮内鑑定に付されるまでには平塚鑑定、船尾鑑定等によりジャンバーとズボンに薬品が加えられたり、血液付着部分と認められる個所を切り取つたことは明らかな事実であり、当裁判所における証人平塚静夫の証言、第一次再審請求事件における鑑定証人村上次男の供述(再審事件記録二一冊の一五、二八八丁)によると、検査試薬が加えられることによつてその後の検査成績に影響を及ぼすことが認められるので(従つて、この点に関する宮内義之介、木村康の証言中、ルミノール反応検査やベンチヂン検査がその後のフィブリン平板法による検査に対しては全く影響を及ぼさないという部分は信用できない。)、右宮内鑑定の結果をもつてしても、本件のジャンバーとズボンに当初から血液は付着していなかつたという事実を認めるには足りないというべきである。また、木村康作成の鑑定書には、右ズボンにつき、フィブリン平板法を含む各種の検査をしたが、何れの方法によつても陰性であつたこと、および右の結果を得たのは既に検査資料を消費したためと考えるのが妥当である旨記載してあるに過ぎない。要するに、以上の両鑑定は請求人について無罪を言い渡すべき明白な証拠ということはできない。
二、ふとんえり当の血痕の問題
(一) 請求人が再審開始を求める第二の理由の要旨は、請求人を有罪とした証拠の中に掛ふとんのえり当、これを撮影した司法警察員作成の昭和三〇年一二月八日付捜索差押調書添付の写真および右のえり当に関する三木敏行作成昭和三二年三月二三日付鑑定書があり、右の鑑定書ではえり当に付着していた血痕の血液型と請求人の血液型が一致するとされているが、右の捜索差押調書添付写真と右の鑑定書添付の写真とを比較すると、肉眼で血痕と認められるものは前者については僅か一個所より存在しないのにかかわらず、後者には多数存在する。右の事実はえり当を司法警察員が押収してから三木鑑定人の手に渡るまでの間に、警察関係者によつて工作されたもの、換言すれば、えり当に付着されている血痕はねつ造されたことを意味するが、さらにこの点を明らかにするため、新たな証拠として石原俊作成の昭和四五年一二月七日付および昭和四六年九月二五日付各鑑定書および証人として後藤孝、酒田信吾、遠藤重夫、鈴木辰治、伊藤寛二、亀井安兵衛、佐藤好一の取調べを求めるとともに、右石原鑑定を補強するため、右のえり当がついていた掛ふとんは元来請求人が使用していたものでなく、同人弟彰が使用していたものであることを一層明白にするため証人として斎藤彰の取調べをもあわせて求める、というにある。
(二) よつて検討するに、請求人の右主張は証拠物とされたえり当が変造されたもの、従つてこのえり当を鑑定した三木鑑定書の証拠価値は無くなるということになるが、これらについて刑事訴訟法四三五条一号または二号の要件が満たされておらず、また、同法四三七条の証明もないから右主張部分は採用できない筋合である。しかも、右の点を論外として考察しても、前記石原俊作成の各鑑定書による鑑定経過および鑑定結果は、前記三木鑑定書添付写真に基づいて血痕付着のえり当を復元作成し、これを、菅原利雄の証人尋問調書から知り得るところの前記捜索差押調書添付写真を撮影した時と同じ条件の下に撮影したところ、肉眼的にみても多数の血痕が見えるように写り、前記捜索差押調書添付写真とは明らかに異なつた写真ができた、というにあること同鑑定書の記載自体で認められるところ、同鑑定によつても、復元作成されたところの血痕付着のえり当が、もとの三木鑑定に付された当時のえり当と比べてえり当自体のよごれ方や付着していた血痕の色、濃度等同一であつたと認められる証拠はなく、他面、捜索差押調書添付写真においても、仔細に観察すると多数の血痕が付着しているのを確認できること第一次再審請求事件における昭和三九年四月三〇日付当裁判所決定で判断済のことであり、また、捜索差押調書添付写真と三木鑑定書添付写真とで血痕が同一に写つていないことは、有罪判決確定後始めて明らかになつたのではなく、第一審判決当時において判明していたものであり、それをふまえてなお請求人は有罪であると認定されたことが明白であるから、今回の石原鑑定書をもつてしては、前記三木鑑定に供されたえり当の血痕が捜査機関によつてねつ造されたものであるという事実を認めるに足るものではなく、従つて、これが請求人に対し無罪を言い渡すべき明白な証拠であるとは認められない。
(三) なお、請求人は、ほかに、ふとんのえり当に関し石原鑑定を補強するものとして、前記の掛ふとん使用者が弟である点を含む数点の事実を主張しているが(再審請求理由補充申立書一〇頁ないし一九頁)、これらは第一次再審請求において主張し判断されたことの同一事実の主張に過ぎないから、新しい証拠の提出がなくして再びこのような主張の許されないこと多言を要しない。従つて、例えば掛ふとんが請求人弟彰の使用物であつたとして取調べを求めている斎藤彰に関しては、すでに第一審において取り調べられており(確定記録二一冊の七、一五七丁以下)、同人の証言として、掛ふとんは自分のものであるとか自分は鼻血を流すくせがあり、えり当についた血痕が同人の鼻血によるものであるかのような供述をしているにもかかわらず、えり当に付着した血痕の血液型と右証人の血液型が異なるという理由で右証言が信用できないと判断されているから(仙台高等裁判所昭和三四年五月二六日判決八丁)、このように取調済の証人につき、前と同趣旨ないしはそれを補充強化する趣旨のいわば同方向の供述が予想される場合に、これをもつて新規性のある証拠ということはできないし、掛ふとんの押収捜索その他の捜査の経過やえり当を写した写真のネガの保管問題について証人として取調べを求めているその余の者についても、請求人の主張する事実が同人らによつて立証される可能性がある程度証明されないまま漫然と証拠調に入ることは許されず、しかもこれら人証が判決確定前には取調不能であつて確定判決後に始めて判明したという証明もないので、結局は新規性を欠くというよりほかはない。よつて、前記主張の内容の判断にたち入るまでもなく、排斥を免れない。
三、消えていた電灯の問題について
(一) 請求人は、第三の再審事由として、請求人の自白調書の中には、被害者宅を高台下の道路からみたら電灯の光が洩れていたとか、家の中に入つたら電灯がついていて明るかつたとか、その他、明るい電灯のもとでなければ認識できないような殺害の具体的状況に関する自白部分があるが、当時、被害者方の電灯は既に消えていたから、結局、自白調書には真実に反する虚偽の自白がなされていることに帰着して、右自白調書には証拠能力がなく、請求人は無実である。よつて、消燈事実を立証するため、上野真一、矢吹徳之進、尾形靖、小和田定夫の証人尋問と検察官手持証拠の開示を求めるものである、というにある。
(二) しかし、請求人の右主張は第一次の再審請求においても主張し、すでに判断されているから、新たな証拠の提出がなければ刑事訴訟法四四七条二項に違反することに帰着するので、右証拠が新たな証拠となるかどうかについて検討するに、右証拠中証人として申請のあつた者については、第一次再審請求の際に取調不能であつて今回新たに発見されたものであることを認めるに足るものはないから、新規性があるということはできない。また、検察官手持証拠の開示を要請するもののうち、検察官手持証拠全部の開示を求めている分については、証拠の特定がないところ、手持証拠の有無不明のままその開示命令(「開示」というが、それは提出命令を発して差押することかどうかは別として)を発することはできないと解すべきであるから、右請求は失当であり、また、一部証拠を特定して開示を求めた分については、検察官に照会した結果、上野真一と尾形靖について、同人らが被害者方の火災発生を知つてから現場に行つた時の状況を調べた調書はあるが、事件発生当時被害者方の電灯が消えていたかどうかの点については何ら取調べていないため、その記載のある書類はない旨の回答があつたので、請求人の主張事実を認め得る新たな証拠が右検察官手持証拠の中にあるとは認められず、その提出を求めることはできない。
(三) 以上の点以外に請求人が主張している事実や、提出または引用している証拠はすべて第一次再審請求において審理、判断されているものである。従つて、これは、同一の理由によつて更に再審の請求をしていることに該当し、不適法というより外はない。
四、再審請求を補強するものについて
請求人は、再審事由を補強するものとして、高橋勘市が警察署の房内で目撃したという請求人の言動に関する証言は偽証であること、請求人の自白には、犯行の動機、犯行現場に至る迄の経過(時間や道筋)、犯行現場での行動、犯行後の状況について不合理な点が多いことを掲げ、これらの点は再審事由とあいまつて請求人の無実を証明するに十分である、と主張する。
しかし、補強されるべき再審事由がいずれも理由のないこと前記のとおりである以上、右の諸点は独立の存在意義を有するものでないばかりか、すでに第一次再審請求においても同一主張があり、高橋勘市の証言については偽証とは認められないと判断されているし、また、自白の非合理性に関する主張は、第一次再審請求における抗告審の決定において示されているように(仙台高裁昭和四一年五月一三日決定五九頁)、第二審または上告審の審理において詳細に判断されているもののくり返しにすぎないうえ、請求人の指摘した証人調べや現場検証は第一次再審請求が棄却された後に発見された新規の証拠とは認められないので、右各主張を許容することはできない。なお、再審裁判所は再審を開始するかどうか決定するに当つて心証形成をやり直すものではなく、有罪判決の心証を受け継ぎ、新たな証拠によつてその心証をくつがえすことができるかどうか判断するものであるから、本件犯行の動機、犯行現場までの経過、犯行直前直後の行動、帰途等についてその自白の中に表われた事実それ自体が通常の経験則にてらして不自然であるかどうか判断することは確定判決の心証形成そのものに立ち入ることになるのであつて、再審裁判所の権能の外にあるというより外はない。
五、その他
確定判決において請求人が有罪と認定された証拠の中には、請求人が警察の留置場内の壁にきざみ込んだ罪を悔いる趣旨の落書に関する鑑定書や、犯行に使われたまき割の刃体、請求人が勾留質問において裁判官に対し自白した調書がある。そして、右の落書が請求人の筆跡であることは鑑定の結果によつて認められているし(確定記録二一冊の七、二ないし一一丁、仙台高等裁判所昭和三四年五月二六日判決二一丁)、また、第一次再審請求事件における村上、赤石両鑑定人の鑑定結果によつて、まき割の刃体から血痕反応検査の予備試験で陽性の成績を呈したことが証明されたことによつて(再審事件記録二一冊の一七、一〇一五ないし一〇八丁四丁、一一〇二ないし一一七二丁)、まき割で被害者の頭部を強打して殺害せしめたという請求人の自白の真実性が更に強く裏付けられたことになり(第一次再審請求事件における仙台高等裁判所昭和四一年五月一三日決定五一頁)、更に、裁判所の裁判官の面前における勾留質問の際に自白していることも(確定記録二一冊の五、一三二丁)自白の任意性を裏付けており(仙台高等裁判所昭和三四年五月二六日判決三丁目一行)、留置場内の同房者高橋勘市の証言(これが偽証と認められなかつたこと前示のとおりである)にみられる房内における請求人の挙動は、請求人の自白の任意性のみならず真実性を立証するものと認めることができる。請求人が主張するように、請求人が無実であつて、有罪判決の基礎となつた証拠は警察がねつ造したものであるとか、請求人の自白が警察官から強制されてしたものであるとするなら、右に述べた証拠の存在がこれと明らかに矛盾する。そして、刑事訴訟法四三五条六号に基づいて再審を開始するには、単に有罪判決の基礎となつた証拠の一部が虚偽であることが証明されただけでは足りず、他の証拠の真実性をもゆるがすに足るものたることを要すると解すべきである。
したがつて、例えば、ジャンバーとズボンに当初から多量の血液は付着していなかつたという可能性が仮に認められ、そのため犯行から間もない頃にズボンに手をふれてみたらぬらぬらと血液がついていた、という請求人の自白部分が虚偽であるという可能性がでてきても、右に掲げた証拠の証拠価値まで否定されることにはならず、結局、請求人の自白の真実性が根底からくつがえされることにはならないわけである。そして、右の場合には、有罪の心証が動揺せしめられることにはならないから、再審を開始することはできない。請求人に関し、このような新しい証拠の存在は認められない。
六、結論
以上のとおり、請求人の提出にかかる証拠によつては第一次再審請求に対してすでに示された判断を変更すべきものとは認められず、したがつて、本件再審請求はいずれもその理由がないので、刑事訴訟法四四七条によりこれを棄却することとし、再審手続費用の負担について刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して主文のとおり決定する。
(昭和四六年一〇月二六日仙台地方裁判所古川支部)
(太田実 斎藤清実 平良木登規男)
<参考二>即時抗告の申立
申立人 ○○○○
請求人○○○○に対する強盗殺人非現住建造物放火再審請求事件について、昭和四六年一〇月二七日再審請求を棄却する旨の決定をうけましたが、右決定には全面的に不服であるので刑事訴訟法第四五〇条にもとづき即時抗告の申立を行なう。
申立の理由
後記のとおり
昭和四六年一〇月三〇日
弁護人 守屋和郎
外一一名
仙台高等裁判所 御中
記
一、はじめに
裁判は人間の行なう判断作用である。従つて数々の限界を有するものであることは当然である。
判断する主体、裁判官の能力の限界、判断対象たる証拠の限界、提出されるべき証拠が提出されないため、或は提出された証拠が十分解明されなかつたため、証拠価値が正しく評価されないため生じる証拠の限界等々、それ故に、このような限界を克服するための制度として審級制度が工夫され、再審制度が考え出された。
これらはいずれも人間の作つた制度、裁判という制度の限界を克服するための制度である。その意味において、基本的に審級制度と再審制度は同じ目的に奉仕するものであることは言うまでもない。ただ無限に限界点克服の営みを続けることは出来ないので、確定の制度を採用し、改めて再審制度を位置づけたものに外ならない。従つてこれらはいずれも憲法三一条の保障する適正手続が具体化されたものであることは明白である。
従つて裁判官は基本的人権の保障の最大の任務をつらぬくため、再審請求に対しても確定判決前の訴訟手続に対するものと同様に、けんきよな態度で臨まなければならないものであることは当然である。
確定判決を護持する任務を再審請求を担当する裁判所が荷うかの如き考えは誤ちであることは言うまでもない。
ところで原裁判所は、このように再審の受訴裁判所として、基本的人権擁護の観点を貫いたであろうか。
原裁判所、裁判長太田実は、弁護人らが鑑定書の提出が遅れていることの理由を明らかにし、さらに若干の時間の猶予を求めたのに対し、驚くべきことに「このような事件を未処理にしておいても評価されない。自分が損をするだけだから待てない。」と発言したのである。誰が評価し、どのような損を裁判官が受けるのかは定かでないが、基本的人権の護り手としての裁判官の基本的資質にかかわる重大な発言ではなかろうか。
このような裁判官を裁判長とする原裁判所は証人調を決定し、その後鑑定人の都合でその期日だけを取消した石原俊鑑定人の調べを打切つて再審請求棄却の決定を出している。打切ることも、その理由も弁護人らに何んら告知することもなく。のみならず事実調を行なつた結果に対する意見を聞く機会も作らず、突然再審請求棄却の決定を出した。
一体、原裁判所は再審手続における請求人の基本的人権の保障ということを少しでも考えたことがあるのであろうか。
弁護人の請求にもとづき、検察官の手持証拠開示の件について、検察官に照会し、一部の回答を得ているようである。この一部の回答という事実について弁護人がなすべき当然の発言に耳をかたむけようとする態度が、何故、原裁判所の裁判官になかつたのであろうか。
そこには職業としての裁判官に徹した技術者としての裁判官の姿以外に見い出すことは出来ない。
制度として厳しい条件の課されている現行再審制度を請求人の最後の黄金の橋として保障するという人権擁護の精神、当事者主義構造を通じ実現される基本的人権保障といつた法益に奉仕する裁判官の姿を見い出すことは出来ない。
原決定の瑕疵に論及するまえに、まずこの点について抗告裁判所に素直に注意を喚起したい。
二、訴訟手続違反について
(一)、原決定は、憲法第三一条、刑事訴訟法第一条、同規則第二八六条第一項に違反している。
1 刑事訴訟規則第二八六条第一項は「再審の請求について決定をする場合には、請求をした者及びその相手方の意見を聴かなければならない」と規定している。これは憲法三一条刑事訴訟法第一条を再審手続の中で具体化した規定であり、重要な手続規定である。従つて原裁判所は本件の請求人○○○○の意見を聴取しなければならないのにも拘らず、請求人の意見を聴取し、あるいは意見を陳述する機会を与えていない。この事実は弁護人高橋治が昭和四六年一〇月三〇日、仙台地方裁判所古川支部書記官沼田信雄に照会し、確認したところである。
2、再審請求につき決定をする場合、請求人の意見を聴取することが裁判官に義務づけられているのは、「再審の制度を実効あらしめるうえにおいて必要である。」(白井滋夫「再審」法律実務講座刑事編第一二巻二七五三頁)ばかりでなく、再審請求の審理を終つた段階で請求人が再審事由と証拠の関係、証拠の評価などについて意見を述べ、裁判所の判断が誤まらないようにする趣旨、すなわち、通常手続における検察官の論告にも比すべき地位を占め、再審請求の手続上不可欠の手続であると解すべきことは前述したとおりである。
再審請求において請求人の意見を聴取しなかつた場合についての判例としては、大審院決定昭和一三年七月一三日刑集一七・五六二、東京高裁決定昭和三〇年一二月一七日裁判特報二・二四・一二八九があるが、これらの事例はいずれも意見陳述の機会を与えた場合の判例で、本件とは事例を異にする。本件の如く意見陳述の機会すら与えなかつた場合には、再審請求手続における意見聴取の重要性から見て、この一点のみを取り上げても原決定の瑕疵は重大であり、破棄されなければならない。
なお裁判所は、昭和四六年一月二九日付で弁護人守屋和郎に対し「意見書提出期限について」と題する書面を送付し、意見陳述の機会を与えたと強弁するかもしれない。請求人に右同様の書面が送付されたか否かは不明であるが、仮に送付されたとしても、弁護人の照会に対し、仙台地方裁判所古川支部書記官坂本良行は「あの書面は事実調を行なうことについての意見書提出期限を指している」旨答え、また同支部の斎藤清美裁判官も同趣旨の答えをしている。
右事実よりすれば、昭和四六年一月二九日付の右書面で請求人あるいは弁護人に再審請求につき決定する場合の意見陳述の機会を与えたということはできない。
仮に前記書面が再審請求に対する決定をするにつき、請求人の意見を聴取する機会を与えたものであつたとしても、その後、裁判所は六月二四日に弁護人が請求していた証人三名の取調を決定し、七月九日に証人尋問を行つたのであるから、あらためて事実調の結果について請求人の意見を聴取する必要があるというべきである。
従つて原決定には明らかに訴訟手続の法令違反があり、ひいては憲法三一条にも違反するものであるので破棄されなければならない。
(二)、原決定は憲法三一条、刑事訴訟法第二九七条第三項に違反している。
1、再審請求における事実調の手続については詳細な手続規定がないが、憲法三一条の保障の具体化として、原則として通常の手続に準じて行なわれるべきである。
ところで原裁判所は、昭和四六年六月二四日、弁護人が取調請求をした証人中、宮内義之介、木村康、石原俊を取調べることを決定し、宮内、木村は七月九日、石原は七月一〇日午前一〇時に取調べると期日も指定した。そして宮内、木村は七月九日に取調べたが、石原については、石原が当日は都合が悪く出頭できないと申し出たところ、六月二六日、原裁判所は「証人尋問期日取消決定」を行ない、弁護人に書面で通知してきた。
右の書面は「証人尋問期日取消決定」と題され、その本文には「右の者に対する強盗殺人非現住建造物放火再審請求事件につき、昭和四六年六月二四日になした決定のうち、昭和四六年七月一〇日午前一〇時東京地方裁判所において、事実取調のため鑑定証人として石原俊を尋問する旨の決定部分はこれを取り消す」とある。
この本文のみを読むと石原俊を鑑定証人とする決定を取消したと解されないでもないが、表題と併せ読むと、証人尋問期日のみを取消したものであつて、証人として取調べるとの決定を取消したと解することはできない。
しかるに原裁判所は、石原俊を証人として取調べることなく原決定を下したのである。
通常手続においては、一旦証拠として採用した証拠を、証拠として取調べないときには証拠決定を取消さなければならず、しかもその際は当事者の意見を聴かなければならないのである。(法第二九七条第三項)
原決定は右の手続を行なつていない。
2、また弁護人は、昭和四六年九月三日、石原俊証人の証人尋問期日を指定するよう要請したが、原裁判所はこれに応えることなく、突然原決定を下したのである。
少くとも弁護人の要請があつたときに、石原証人の尋問をどうするのか、あるいは証拠決定を取消していたのであれば、その旨を弁護人に連絡すべきであつた。
3、石原証人は弁護人が取調請求した一八人の人証の中で、「ふとん襟当の血痕の問題」についての最も重要な証人であり、裁判所も重要であると考えたからこそ証人尋問することを決定したのであろう。
そうであるならば、一回の尋問期日に出頭できなかつたからといつて、証人尋問を行なわず、また弁護人らの意見を聴くこともせずに原決定を下したことは、実体的真実発見を任務とする再審請求手続においては見のがすことのできない重大な手続上の瑕疵であると同時に原裁判所の本件に対する熱意のなさ、請求人の基本的人権に対する配慮の欠如をもつともよくあらわしているものである。
三、ジャンバーとズボンとの血痕反応についての反論
(一) 本件犯行当時請求人の着用していたジャンバーおよびズボンからは請求人の自白に符合する血痕反応が現れなかつた。
弁護人は右事実に関する証拠として新しく発見されたフィブリンプレート法により右ジャンバーとズボンとの血痕反応を鑑定した鑑定人宮内義之介、同木村康の各鑑定書の取調ならびに右鑑定人の尋問、および本件犯罪発生当時宮城県警察本部鑑識課に所属し、右ジャンバーとズボンの血痕反応について二度にわたり鑑定をなしている平塚静夫の尋問を求め、裁判所はその取調べを行つた。
裁判所は原決定において、今回提出された二通の鑑定書は請求人について無罪を言渡すべき明白な証拠ということはできないと判断しているが、右判断は以下に述べる様に事実を誤認し、法令の解釈を誤つたものであり、又審理不尽の違法があるといわなければならない。
(二) 原決定は第一次再審における決定を引用し「平塚鑑定人の検査方法は精密なものであつたとは認められない」(仙台高裁昭和四一年五月一三日決定三三頁)、「血液の付着の仕方、血液が付着してから同人の検査にされるまでの間の洗濯の仕方、洗濯してから同人の検査にに付されるまでの間の洗濯の仕方、洗濯までに乾燥したかどうかという条件如何によつて血痕検査成績が陰性になる可能性もある」(仙台地裁古川支部決定二四枚目表)から、ジャンバーとズボンには当初から血液が付着していなかつたという主張を否定した第一次再審請求において示された判断を変更すべきものとは考えられぬとしている。
しかしながらはたして平塚鑑定は原決定の言うように杜撰なものであろうか。
原決定裁判所における平塚証人の証言ならびに第一次再審時における同人の証言によれば、同人は東北薬学専門学校卒業後、東大医学部薬学科の選科に一年在学し、その後昭和二三年に宮城県警察本部に勤め、昭和三二年まで鑑識の職にあたつた者であり、その後も福島県立医科大学の法医学の専任講師として二年間勤務している。その間同人はルミノールについて相当の研究をつみその成果を日本法医学会において発表している。平塚証人は血液鑑定の専門家として相当のキャリアを持っているのである。原決定裁判所における平塚証人の証言によれば、本件における鑑定においても例えばルミノール検審に際しては「古畑さんの本に基づきまして処方致し」(調書三五丁)オーソドックスなやり方で検査し、その当時の法医学の常識、技術的水準からいつて「やるべきベストを尽し」(調書三六丁)ているのである。そうでなくとも平塚証人は外ならぬ捜査側である県警察本部鑑識課の血液鑑定担当員として、しかも請求人が、従前の自供をくつがえし、自分の犯行ではないと犯行を否認してから、右ジャンバー、ズボンを鑑定したのであるから、可能な限りの技術を駆使し細心の注意を注いで検査を行い鑑定したことは、容易にうかがえるところである。
平塚証人は前述の通り鑑定人としての能力を十分にそなえ、かつ単なる鑑定としてではなく捜査側の視点から鑑定を行つたということ、そしてその結果が「血痕付着せず」という結論であつたことを見落してはならない。
検査方法についても、肉眼でたしかめ、それで明らかにされた斑痕についてはベンチジン検査をし、更にルミノール検査をしている。しかも昭和三一年二月六日付鑑定書ならびに原決定裁判所における平塚証人の証言によつて明らかなようにジャンバーとズボンについては洗濯されていることを前提に鑑定がなされており、更に紫外線検査や、切り取つた繊維をほぐして検査もしているのである。右の通り平塚証人が細心に検査を行つていることは原決定裁判所における同人の証言によつて極めて明らかになつているにもかかわらず、原決定は右証言をいささかもかえりみることなく、第一次再審における判断を変更すべきものとは考えられないとしている。
弁護人は裁判所の右判断が裁判長の本件再審に対する基本的姿勢と密接にかかわりあつていると断ぜざるをえない。平塚証人に対する尋問における裁判長の尋問態度は、調書を一読するだけで明らかなように予断と偏見そのものでありそこには如何にして平塚鑑定の価値を減殺するかに腐心している様がありありと出ている。実体的真実の発見に対する考慮は全く影をひそめ、請求人を罪におとし入れようとする極悪検察官的発想に終始している。
条件如何によつては陰性(血痕反応が)になる可能性もあるとの判断が許されるとするならば、再審請求人は、無の立証を強いられるといわざるをえないい。血液の付着についていえば、請求人の自供を引合いに出すまでもなく、四人を殺害して返り血をあびているのであるから、相当多量の血液がつくであろうことは当然のことであるし、洗濯や乾燥の状況については、請求人の自供を前提として判断するのが当然であり、更に加えて今回、請求人の義姉斎藤美代子の洗濯に関する供述調書や合成洗剤が当時ほとんど使用されていなかつた事実を示す日本家庭用合成洗剤工業会編集の統計資料が証拠として提出されているのである。
平塚証人は原決定裁判所において、「普通についた血痕であれば二回三回やつても反応が陽性に出るのが当然だろうと思います」「…石鹸のようなものを使つて返り血を落したとしても感度には影響がない」と証言している。
右のような事実を考慮することなく自分の予断に都合の悪い証拠には全く眼をふさぎ、あるかなきかの可能性を理由に違法な判断をしているのである。
(三) 次に宮内、木村鑑定に対する原決定裁判所の判断にふれよう。ここでも論法は平塚鑑定の場合と同様である。洗濯、乾燥の条件如何によつてはフイブリンプレート法による検査によつても陰性になることもありうるから明白な証拠とはいえないというのである。
「宮内鑑定に付されるまでの間に請求人の自供調書により認められる以外の条件が加えられなかつたという証明に至つては全く存在しないことが認められる」(決定書九丁表)という判断に至つては何といつたら良いのかその言葉を知らない。
請求人は又しても無の立証を強要されるのである。
例えば、ある被疑者に対する殺人被疑事件の証拠として被害者の血液のついた被害者の着衣が提出された時、検察官はその血痕が、その犯行の際以外の時にする可能性が全くないことを立証しなければならないとでもいうのであろうか。
宮内鑑定における対照実験は請求人の自供に示された条件にもとづきなされるのは当然のことである。斎藤美代子の供述調書ならびに、日本家庭用合成洗剤工業会の統計資料によれば当時使用された洗剤が固型の洗濯石鹸であり、水ないしは前夜の風呂水を使用しアイロンを使用することがなかつたことは明らかである。
請求人の自供によれば第一回目は泥を使用して洗つたことになつているのに、対照実験では砂で洗つたといつた些細な相違が結果に影響を与えるとは到底考えられない。
原決定裁判所における木村康証人の証言によれば「手でもんで洗う場合三回もんで終りにする、四回もんで終りにするというのでなく、洗濯に使う水なりぬるま湯なり、そういうものに色が出なくなる……これ以上落ちないんだというまで洗うんですから……」(木村証人尋問調書二九丁表)というのであるから証人は実験してみなければわからぬと証言しているが、泥と砂との差など問題にならないと言つてさしつかえないであろう。
検査試薬がその後の検査成績に影響を及ぼすか否かについては、宮内証人木村証人の証言によつて明らかである。ルミノールやベンチジンの試薬は血液中のヘムに作用するのであるからそれが費消されその後の同じ検査に影響を及ぼすが、フイブリンプレート法においては、血液中のフイブリンが問題となるのであるから、影響がないのである。木村証人の証言によれば「よそでびじやびしやにされたものを持つて来られる(注ルミノール等で)……そういう状態でもフイブリンプレート法では陽性が出ます」というのである。
右の点に関する原決定裁判所における平塚証人の証言も第一次再審における村上次男証人の証言も全て、ルミノール法やベンチジン法等、血液中のヘムに作用する検査についての証言であることを裁判所は見落しているのである。
宮内鑑定に添付された中島敏論文は洗剤添加の洗濯では、フイブリンプレート法においても三回で陰性になつた旨述べているがこの点についても使用された洗剤がニュートップという中性洗剤であつた点を原決定では故意に看過しているのである。請求人の自供を前提に行われた前記対照実験がほぼ完全に近いものであることは木村証人の証言によつて、明らかである。
木村鑑定はズボンについてフイブリンプレート法を含む各種検査の結果、陰性であつたことが既に検査資料を消費したためと考えるのが妥当である旨記載してあるにすぎない旨の原決定の判断は裁判所の予断を自白しているといわざるをえない。
木村証言によれば、平塚、船尾鑑定の際、斑痕部分が切りとられ、その意味で消費されてしまつているから、フイブリンプレート法によつても陰性であつたというのである。
四人の者をまき割りで殺害した者があびるであろう返り血(それは請求人の自供によるまでもなくぬらぬらする程であろう)を前提に考えるならば、木村鑑定はズボンには最初から血痕が付いていなかつたということを証明する以外の何物でもない。
木村証人は三ケ月間道路脇のどぶの中に捨てられていたジャンバーからフイブリンプレート法による陽性の結果が出た旨証言しているが、右の例は、水とか空気とか日光によりフイブリンプレート法の検査結果に影響のないことをほとんど完全に立証しているといつて良いだろう。
(四) 原決定裁判所の予断と偏見にみちた姿勢を、裁判長の証人尋問の際の態度からみてみよう。
例えば裁判長太田実は、平塚証人に対し「その当時はね、あまり精密に考えてやつたわけではないという趣旨のことを述べておつたと思いますがね」と尋問し、弁護側の抗議を受け、右発問を撤回している。
事実調べにおける裁判長の態度は、証人尋問書により明らかなように、請求人に有利な点をすべてつぶそうということへの異常なまでの熱意に満ちあふれている。それが事実誤認を生み、法令の解釈を誤らせ、審理不尽を結集しているのである。
原決定はジャンバーとズボンとの血痕反応について、宮内、木村鑑定、ならびに平塚、宮内、木村証言を明白性なしとしてしりぞけたが、それは事実を誤認し、憲法第三一条、刑訴法第一条、第四三五条の解釈を誤り、かつ予断と偏見から審理不尽の違法をおかしたものと言わざるをえない。
四、ふとんえり当の血痕についての反論(法令適用の誤りと審理不尽)
(一) 本件犯行後請求人が使用していたとされるふとんのえり当にはその内側外側に合計約八五群の血痕が付着しているがその付着状況が常識では全く考えられぬ不自然なものであることは所謂三木鑑定書自体が証明してるところである。
弁護人は第二次再審請求にあたりふとんえり当の血痕につき証拠として鑑定人石原俊作成の昭和四五年一二月七日付、昭和四六年九月二五日付各鑑定書および後藤孝外七名の証人尋問を請求した。
(二) 原決定によれば、弁護人の主張は証拠物とされたふとんの襟当が変造されたものであり従つてこの襟当を鑑定した三木鑑定書の証拠価値はなくなるということだがこれについては刑事訴訟法第四三五条第一〇号または第二号の要件が満たされておらずまた同法第四三七条の証明もないから右主張部分は採用できないとしている。
しかしながら弁護人はふとんのえり当ての血痕については刑事訴訟法第四三五条六号の事由に該当するとして石原鑑定等をあげているのであるから、(昭和四五年再審理由補充申立書二〇頁)原決定の判断はあまりに幼稚といわざるをえない。
(三) 石原鑑定は木村康(ジャンバーズボン血痕の鑑定人)が三木鑑定ならびにその添付写真を資料に復元したえり当てを菅原利雄(捜査段階でのふとんえり当て写真撮影者)の証人尋問調書から知りえた与件に忠実に撮影した結果捜査差押調書添付写真とは明らかに異なる写真ができた事実を立証している。ここでも原決定は三木鑑定当時のえり当てと比べてえり当て自体のよごれ方や付着していた血痕の色、濃度等が同一であつたと認められる証拠がなく、捜索差押調書添付写真においても仔細に観察すると多数の血痕が付着しているのを確認できること第一次再審の決定で判断ずみだから明らかな証拠とはいえないとしている。
ズボン、ジャンバーの血痕反応と同一の論法である。木村康について弁護人はふとんえり当復元の状況についても尋問を求めたが裁判所はその点につき全くふれなかつたのである。
木村康はその復元作業において三木鑑定ならびにその添付写真を仔細に検討し昭和四六年九月二五日付石原鑑定の際のえり当ては実際に人血を用いているのである。復元されたえり当てが当時のえり当てと比べて同一であつたという証拠はなくという原決定の判断は従つて全くナンセンスという外はない。
更に原決定は第一次再審の裁判所が「拡大鏡を用いて仔細に観察した」誠に非科学的な判断を引用している。捜査差押調書添付写真と三木鑑定添付写真とが全く異つた対象を写したものであることは誰の目にも明白な事実である。
三木鑑定のえり当てを撮影したならば、石原鑑定添付写真の如く写るのであり、決して捜索差押調書添付写真の様には写らないのである。
(四) 石原鑑定によればどのような偏見を持つてそれをみようと差押調書添付写真と三木鑑定の前提となつたふとんえり当てとの差異である。捜査機関による証拠ねつ造への疑いである。
原決定裁判所は細心の注意を払つて、石原鑑定を検討する義務を負うものといわなければならない。手続における正義との関係において徹底的な事実調べが行われるべきなのである。
ふとんのえり当てについての原決定裁判所の態度は真実発見という視点を、人権擁護というものを全く無視したものと言わざるをえない。
「請求人の主張する事実が同人らによつて立証される可能性がある程度証明されないまま漫然と証拠調べに入ることは許されず」と決定はいうが、その可能性はかなりの程度証明されているものであり、捜索差押調書添付写真のネガのみ紛失したという奇怪な事実も権力犯罪を推定させるものである。
原決定の態度は、刑訴法第四四五条の精神をないがしろにしたものである。
前にもふれた通り、裁判所は石原鑑定人の尋問を決定しておきながら、その尋問期日を取消したまま決定を行つたのであるが、この点においても審理不尽のそしりをまぬがれない。
五、消えていた電灯の問題について(審理不尽の違法)
弁護人らは再審の事由として「消えていた電灯の問題」をも重大な事由として提起した。この問題はいうまでもなく、請求人の自白調書中に再三にわたつて述べられている電灯がついていた事実を前提とする供述との矛盾を追求するためのものである。
そして、弁護人らは、新たな証拠を提出するため、検察官手持証拠の開示命令を求めたのである。
弁護人らはまず手持証拠全部の開示命令を求めた。「これはいろいろ問題はあろうが、弁護人らは、絶大な捜査の権限と能力を有する捜査官憲が集めた証拠はあらいざらい調査能力に限界のある弁護人らの目にさらされてこそ、真の公正な手続が担保されるという確固たる考えに立つからである。」
弁護人らは、さらに手持証拠全部の開示命令を求めることが無理であれば、特定の手持証拠の開示を求める旨の請求をした。これは原裁判所の指示にもしたがう措置であった。そして、「消えていた電灯」に関して言えば、本事件発生直後、当時の捜査本部が事件現場付近の者から、主として事件発生当時、被害者方の電灯が消えていた事実に関し事情を聴取した供述調書又は同内容について聞き込みをした事項を記載した捜査報告書ないしはこれに類するものの開示命令を求めたのである。
この特定の仕方は、まったくのあてずっぽうのものではなく、事件当時の数種の新聞に「消えていた電灯」の事実が大きく取り扱われていた事実、前に検察官も事件直後の捜査段階における証拠書類等がかなり手許にあることを認めていたことなどによるものである。
そして、弁護人らは、昭和四五年一二月二五日付の再審請求理由補充申立書で「消えていた電灯」の問題を論じた中で(二〇頁以下)、一つは、昭和三〇年一〇月二二日付朝日新聞宮城版等が事件のあった一八日午前二時半頃付近の家人が戸外の便所へ行ったとき、被害者方の電灯が消えて暗くなつていたと報じたこと、もう一つは、昭和三〇年一〇月二二日付河北新報が、付近の人が火事を発見しかけつけたところ被害者宅の引込線が切断されていたと報じたことを根拠に、犯人が一家四人を殺害する前に電線を切断した事実、すなわち犯行当時すでに被害者宅の電灯が消えていた事実が推測される旨主張していたのである。
したがつて、「消えていた電灯に関して、弁護人らが開示命令を求めた証拠は当然、付近の家人が夜被害者宅の電灯が消えていたことを目撃したことに関する証拠および付近の人が火事を発見しかけつけた際の状況に関する証拠の二つを含むものである。
この点に関し、原決定は、「検察官に照会した結果、上野真一と尾形靖について、同人らが被害者方の火災発生を知つてから現場に行つた時の状況を調べた調書はあるが、事件発生当時被害者方の電灯が消えていたかどうかの点については何ら取調べていないため、その記載のある書類はない旨の回答があつたので、請求人の主張事実を認め得る新たな証拠が右検察官手持証拠の中にあるとは認められず、その提出を求めることはできない。」と述べている。
上野真一と尾形靖が被害者方の火災発生を知ってから現場に行った時の状況を調べた調書があるならば、その中には当然弁護人らが問題としていた被害者宅の引込線切断の事実が含まれているはずであり、火災発生の初期における引込線切断の事実は、引込線が火災発生前に切断されたことを明らかにし、被告人の自白との矛盾が一挙に明らかにされるかも知られないのであり、弁護人が開示命令を求める証拠の中にはこのような証拠も含むことは当然である。
このような重要な証拠が検察官の手もとにあることを知りながら、その開示を命ぜず、また弁護人らにこのような証拠がある旨の回答があつたことも知らせず、弁護人らの開示命令申立がこのような証拠の開示命令をも求める趣旨があるかどうか、何らの釈明をも求めないのは、まさに審理不尽があり、裁判所の本事件に対する取組みの方が熱意にかけるものであることを端的に示すものといわなければならない。
原決定の審理不尽は明白である。
次に原決定には証拠開示に関する訴訟指揮権のあり方にも問題があることが指摘されなければならない。両当事者の見解が真向から対立し、訴訟がデッド・ロックにのり上げてしまっている場合には裁判所は当事者の訴訟追行に積極的に介入し適切な訴訟指揮を行なうべきであることは当然であるが、本件のように請求人が無罪を主張し、再審請求で争っている以上、当事者からの要請があるかぎり、合理的な範囲で可能なあらゆる手段をつくすことは、裁判所の義務である。このような時にこそ裁判所の訴訟指揮は一層の重要性をもつものである。
証拠開示をめぐる問題も再審請求段階における事実調の請求が裁判所の職権発動を促すにすぎないとしてもまさにこのような状況で問題であり、その訴訟指揮権の行使の仕方は通常勧告という形でなされるかもしれなが、勧告という形では両当事者の尖鋭な対立があるところでは、その効果はほとんど期待できない。
このような場合には、訴訟指揮として法規に明定されていない命令を下し、当事者に右命令に従う義務を発生させる必要があることはつとに判例の認めるところである。
しかるに無罪による再審請求という重大な場合であるにもかかわらず、原決定は請求人が請求した証書のうち二通についてのみ検察官に対しその調書があるかどうか照会したところ検察官の回答はなかつたというのであるから、その提出を求めることはできないと簡単に言切つているのである。
請求人が請求するような調書があるかどうかという単なる照会では果して訴訟指揮を行使したといえるかどうか一つの大きな問題であるのみならず、本件のような再審請求の場合には仮りに原決定の照会が勧告という形での訴訟指揮だとしても、そのような訴訟指揮ではその効果はほとんど期待できず、まさに訴訟指揮として証拠開示命令が必要なのである。「もしそうでなければ、裁判所はいたずらに拱手傍観し最も重い責任を放棄したとの非難を免れることはできないのである。」(大阪地裁昭和四三年七月三〇日決定)
再審請求に対する審判手続は確定判決をへたあとのもので、通常の公判手続とその性質が異なることに留意しなければならない。従つて通常の手続においての証拠開示に関する議論はそのままここにはあてはまらない。
再審は、確定判決における法的安全性の要求と実体的真実主義に基づく具体的妥当性の要請とを調和させる制度ではあるが、単に請求人の保護という消極面のみならず、実体的真実の発見という面を考えるとき、原決定の如く「証拠の特定がないから、全手持証拠の開示を求めている分については開示命令を発することができない。」ということはできない。
証拠開示が憲法の期待する「公正な裁判」「適正な手続の保障」の理念を全うするものである以上裁判所は証拠開示命令を発する義務がある。
原決定にはこの点においても瑕疵がある。
六、再審請求を補強するものについての反論
原決定は、弁護人らが再審事由を補強するものとして主張した点について、まず「補強さるべき再審事由がいずれも理由のないこと前記のとおりである以上右の諸点は独立の存在意義を有するものでない」と断じている。しかし当然のことではあるが弁護人らは再審事由を補強するものとして主張した点は「独立の存在意義を有するもの」としての判断を加えてもらうことはまったく期待していない。
これらはあくまでも再審事由を補強するものとして、再審事由の存在をさらに明白にするために再審事由に附加し一体的なものとして主張するものであることは昭和四五年一二月二五日付再審請求理由補充申立書で述べているとおりである。(二六頁以下)
次に原決定は、弁護人らが再審事由を補強するものとして主張した点について「すでに第一次再審請求においても同一主張があると述べてあるが、すでに述べたようにこれらの点は新たな再審事由の存在をさらに明白にするために新たな再審事由に附加し一体的なものとして主張するものである以上、これらの点のみを切りはなして同一主張であると論ずることはできないといわなければならない。
さらに原決定は現場検証等について「第一次再審請求が棄却された後に発見された新規の証拠とは認められない」と判断しているが、これも弁護人らの「検証は此の度出された新証拠のいわゆる「新規性『明白性』と密接な係わり合いを持ち、この『新規性』『明白性』を更に強化させるためになされるものである」との(昭和四五年一二月二五日付事実調等請求書九頁、一〇頁)主張に何ら答えていないものである。
なお原決定は「再審裁判所は再審を開始するかどうか決定するに当って心証形成をやりなおすものではなく有罪判決の心証を受け継ぎ新たな証拠によつてその心証をくつがえすことができるかどうか判断するものである」と原審裁判所の再審のあり方についの根本的考え方を明らかにしている。
この考え方は確定判決における心証過程をまつたく固定化してしまい新たな証拠のみによつて無実を立証させる考え方である。既存の証拠の中には不利益証拠もあり利益な証拠もあることがあり、不利益な証拠の中にも重要な証拠とそうでない証拠あるいは強力な証拠と薄弱な証拠とがありうる。
また同一証拠(たとえば証人の供述、本人の自白など)中にも信用できる部分もあり不自然で信用し難い部分も含まれているということもありうる。
このような既存の証拠の中に見られる関係を全く無視することには問題がある。再審手続においては「あらたな証拠の証拠価値については、あらたな証拠を有罪判決のあらゆる証拠との有機的関連において総合的に判断すべきであつて、これを既存の全証拠からきり離してその証拠価値を評価することは許されない」(名古屋高決昭和三六年四月一一日)ものといわなければならない。
七、その他についてその反論
原決定は、特に「五、その他」の項目をもうけ、「確定判決において請求人が有罪と認定された証拠の中には、請求人が警察の留置場内の壁にきざみ込んだ罪を悔いる趣旨の落書に関する鑑定書や犯行に使われたまき割の刃体、請求人が勾留質問において裁判官に対し自白した調書があ」り、これらの証拠(まき割の刃体についてはその鑑定結果)および高橋勘市の証言が自白の任意性ならびに真実性を裏付けるものであるとし、請求人の主張は、右証拠の存在と明らかに矛盾すると述べている。そしてさらに「刑事訴訟法四三五条六号に基づいて再審を開始するには、単に有罪判決の基礎となった証拠の一部が虚偽であることが証明されただけでは足りず、他の証拠の真実性をもゆるがすに足るものたることを要すると解すべきである」と述べたうえ、弁護人が再審事由として述べているジャンバーとズボンの問題について、弁護人らの主張するような可能性が仮に認められたとしても、前にあげた落書の鑑定などの証拠の証拠価値までが否定されないかぎりは、有罪の心証が動揺せしめられることにはならないと述べている。
原裁判所の右の考え方には相当多くのの問題点が含まれている。
まず、原決定が、あい変らずその価値を否定されないまま厳然と存在すると述べている証拠のうち、まき割の刃体に関する鑑定結果は、確定判決に供された証拠ではなく、第一次再審においてはじめて提出されたものである。しかも、右鑑定の結果は、まき割に血痕が附着していたことは断定できないとしても、その可能性が高いことを述べているにすぎないものである。
第二次再審において、はたして確定判決に供された証拠以外に、第一次再審においてはじめて提出された不利益な証拠の証拠価値まで否定しなければならないのであろうか。弁護人らは、再審手続というものが、確定判決の誤りをただすものであるということ、再審手続においては、必ずしも厳格な証拠調手続による必要はないものとされていることなどから、その必要はないものと考える。
次に、有罪判決の基礎となつた証拠の一部が虚偽であることが証明されただけでは足りないとしている点は、証拠の中にも、重要な証拠とそうでない証拠あるいは強力な証拠と薄弱な証拠とがありうることを全く無視した暴論であるという外はない。
原裁判所はジャンバーとズボンの問題と落書に関する問題を全く同価値のものと評価しているのであろうか。落書については、佐々木鑑定人の「資料条件が不足で結論は得られなかつた」という鑑定結果もあり、有井鑑定人の鑑定結果も「『志田郡云々』と『とも子さん』には字形は異なるも共通の何か緊張した書き方が認められる」として、同一人の書であることを結論づけている非常に薄弱な証拠であることは誰の目にも明らかである。
これは、六、で述べたように、確定判決における心証過程をまったく固定化してしまい、その証拠中に見られる前に述べたような関係をまったく無視した考え方に帰因するものである。
八、原決定は刑事訴訟法四三五条の解釈を誤つているので破棄されなければならない。
(一) 原決定は請求人らの提出した証拠を、無罪を言い渡すべき明白な証拠ということはできないとして請求をしりぞけた。
(二) ところで、この無罪を言い渡すべき明白な証拠ということについて、原決定は次のように判示する。
すなわち、「……刑事訴訟法四三五条六号にもとづいて再審を開始するには、単に有罪判決の基礎となつた証拠の一部が虚偽であることが証明されただけでは足りず、他の証拠の真実性をゆるがすに足るものたることを要すると解すべきである。」、したがつて、例えばジャンバーとズボンに当初から多量の血液は付着していなかつたという可能性が仮に認められ、請求人の自白が虚偽であるという可能性がでてきてもすべての関連証拠価値まで否定するものでない限り、再審開始するにたる証拠には該らないと判示する。
しかし、この判示は明らかに誤りで、再審手続の法的構造を誤つて判断したものであり、破棄されなければならない。
(三)、確定判決の権威は正当な手続により集められ、正当な証拠調を経て、正当な証拠評価を受けた証拠にもとづいた判断であることに基礎を置く。
従つて、仮りにも確定判決の証拠となつた証言等が確定判決により虚偽であることが証明された時は、それが確定判決の証拠のすべてを否定するものでなくても、権威を失ない、再審に付され、改めて、権威を当えられるべきかどうかが吟味されることになるのである。
すなわち刑事訴訟法四三五条一号ないし五号はこのような趣旨である。これに対し同条第六号は確定判決の証拠とならなかつたものによる再審の場合であつて、この証拠により、確定判決の証拠の一つが虚偽であることが明白にされた時は、前と同様確定判決の権威は改めて吟味し直されなければならない。この時だけ確定判決の証拠のすべての虚偽性を証明しなければならないといわれる理由は全く存しない。
この点、原決定は確定判決を護ろうとする任務外の目的を志向したため法解釈を大きく誤つてしまつた。
原決定はこの点からも破棄されなければならない。
九、以上で原決定が破棄されなければならない理由は、明らかになつたと思料する。
すみやかに原決定を破棄し、再審開始の決定を求め、抗告に及ぶものである。(なお、即時抗告申立理由補充書は、掲載を省略)